大王の出御している儀式の場で暗殺などを行って、本当に大丈夫だったのでしょうか。

恐らく、儀式の場はクーデターのために用意されたもので、実際には三韓の外交使節などは出席していなかったと考えられます。しかし注意したいのは、『書紀』の記述が極めて物語的であること、宮廷で大王の国土平定の神話などを演じていたと思われる俳優などが、重要な役割を与えられていることです。中国史の野間文史氏などによると、中国の史書『春秋左氏伝』などのなかには、偶語と呼ばれる宮廷演劇を史料とした記述がみられるとのこと。ちょうど『日本書紀』が編纂されてゆく天武・持統朝には、礼制を普及・浸透させるための音楽・舞踊などが整備され、残酷から優長者が集められ技術の伝習にも注意が払われています。『日本書紀』の物語的な記述にも、偶語のような演劇に由来する部分があり、乙巳の変の物語などは、まさに古代国家の始まりを告げるスペクタクルとして演じられていたのかも分かりません。