久米や重野の業績は、現在の歴史学においては評価されているのでしょうか?

現代歴史学においては、もちろん先行研究としては評価されています。しかし近世との決別/近代の創出に躍起になるばかりに、無理な解釈や印象論的な論述を認めることもできます。「神道ハ祭天ノ古俗」にしても、果たして神道を宗教ではなく習俗といいきれるかどうか。そもそも「宗教」や「習俗」といった言葉・概念の定義が問題となるでしょうし、また「神道」という呼称=概念自体中世以降に構築されるというのが現代の定説です。それこそ実証主義歴史学が問題とする「史実」のレベルで、間違っていると思われる論証や論述が散見されるのです。久米の歴史学は、残念ながら、そのひとつ下の世代の辻善之助らによって、ドグマティックで学問の水準に達していない旨の評価を受けてゆくことになります。