2014-10-15から1日間の記事一覧
主観を排した完全な歴史を作ることは不可能です。というより、最初のガイダンスでお話ししたように、「歴史」は「過去そのもの」ではありえないのですから、そもそも完全な形など理念的にもありえないのです。過去を対象にある主観から編成・構築されたもの…
これについては、初回のガイダンスにおいて私自身の考えを説明し、またそれについて自分なりの解答を出してゆくことが、皆さんの課題だとお話ししました。例えば、歴史研究の世界は仮説の積み重ねであり、最新の学説でも容易に覆ってしまう危険性が常に伴い…
皇国史観の考え方や成り立ちについては、次回詳しくお話ししますが、日本の近代国家が採用した立憲君主制の「君主」とは、政変や革命などにおいて容易に転覆しない不可侵の存在でした。君主のもとで政治を行う宰相が交替するのはよいとして、君主自身が、例…
ひとつには、編年体を採用することで革命のない倭=日本国の一貫性、いわゆる万世一系のありようを示そうとしたためでしょう。紀伝・列伝を叙述しうるほどの文字資料が存在しなかった可能性も考えられます。そしてもうひとつには、実は日本の文化が極めて強…
これは、次回の授業で詳しくお話しできるだろうと思いますが、例えば、国学の展開のなかで聖典に据えられてゆく『古事記』など、もともと一貫した天皇神話の構造を持っているわけではありません。オオナムチからオオクニヌシへの成長物語など、最終的に国譲…
そうです。王政復古の大号令、そして政体書に基づく維新直後の政治体制は、アメリカの政治形態の影響を受けていました。しかし1869年には、大宝令を髣髴とさせるような祭政一致の二官六省制がスタートし、古代においては実質的に太政官の下位に置かれた神祇…
政治的な情況のなかで、タブーが作り出されるということでしょうね。まさに今は、従軍慰安婦や南京大虐殺などの問題がタブーにされようとしている。自らの意見を表面した大学人が新聞報道によって糾弾されたり、爆弾をしかけるなどの脅迫を受けたりする情況…
南朝正統説は、江戸期に徳川光圀の『大日本史』が打ち出した議論で、国学的伝統のなかでは非常に根強い見解でした。渦中の喜田貞吉を含む東大の修史局のグループは、史料に即して両論併記を採りましたが、両朝を掲げること自体が万世一系の国体の動揺を示す…
もちろん、久米論文を称揚し神道家を批判するためです。彼は、久米が非職となった後も各種新聞などで反批判の論陣を張り、神道家の保守的態度や皇室の名を借りた「卑劣な脅迫」などを非難し、学問の自由のために大いに気勢を上げます。しかし彼の行動は神道…
現代歴史学においては、もちろん先行研究としては評価されています。しかし近世との決別/近代の創出に躍起になるばかりに、無理な解釈や印象論的な論述を認めることもできます。「神道ハ祭天ノ古俗」にしても、果たして神道を宗教ではなく習俗といいきれる…
〈抹殺史学〉は、重野や久米の実証主義歴史学が、江戸期に接続する種々の物語的歴史、倫理・道徳によってねじ曲げられた記述を、すべて「史実ではない」と切り捨てていったためにそう呼ばれたに過ぎません。そこには批判や異論が込められていると思いますが…
少し難しい話になるかもしれませんが(「いつもだよ!」というツッコミが聞こえる)、「実証主義」という認識論は、哲学的な意味では「経験主義」と同義なのです。すなわち、何かを判断するときに、自分の経験に即して結論を下す。他の理論や宗教などに根拠…
まず、考証学自体は歴史叙述ではありませんので、教育に用いられた史書などは、やはり儒教的な、特定の倫理・道徳を通して過去を裁断し、勧善懲悪を教えるものが多かったと考えられます。例えば、平安時代から用いられた『蒙求』という漢籍がありますが、こ…