安倍首相は、歴史修正主義者であるとよくいわれます。政治的な理由のみでこのような態度をとることは許されないと思いますが、真偽の定かではない、既存の歴史観に対し疑問を持つ姿勢自体は間違っていないのではないでしょうか。「歴史修正主義者」という呼称が用いられるときは、どこかネガティヴなニュアンスを感じるのですが、このような使われ方についてどう思われますか?

歴史修正主義(historical revisionism)〉とは、表面的には、支配的な歴史の物語について異議申し立てを行い、隠蔽された事実性を暴露して修正をなすことですが、強固なイデオロギー性を批判する〈客観性〉を装っていながら、内実は極めて政治的、恣意的であることが多いものです。この言葉が一般に使用されるようになった契機は、2000〜2004年にアメリカで行われた〈アーヴィング裁判〉と、それに至る一連の論争でした。同裁判は、ホローコストに対して否定的な歴史著述家デイヴィッド・アーヴィング(David Irving)が、著書『ホロコーストの真実』(1994年)のなかで自分を痛烈に批判した歴史家デボラ・リプシュタット(Deborah Lipstadt)を、「歴史家としての正当性を汚損」されたとして名誉毀損で訴えたものでした。しかし裁判の過程で、アーヴィングの著作における意図的な歴史改竄が明らかとなり、彼の「正当性」は回復されるどころか永久に喪失してしまいました。担当のグレイ判事による判決文(2000年4月11日)には、「……(アーヴィングの仕事は)正確な歴史的証拠および情報を曲解している。偽りを申し立てている。誤った意味に解釈している。誤った引用をしている。統計データを歪曲している。誤っていることを承知のうえで、信頼できる資料と結論づけている。記録を改竄している。彼の主張とはまったく矛盾している本から、その著者の目的を完全に歪めるような仕方で不当に引用している。そして、読者の大多数が無知か怠惰であって、これに気付かないことを勘定に入れて……歴史的に成立しえない結論、すなわちヒトラーの容疑を晴らすものへ到達するために、視野を狭め、記録を歪曲し、データを誤り伝えている……」と、その杜撰さを明確に指摘しています(http://www.guardian.co.uk/irvingで入手可能)。以降、「歴史修正主義」は、ネガティヴな意味で使用されることが多くなりました。安倍政権の歴史解釈については、日本の歴史学界を含む世界の歴史学者が明確に批判しており(アジア圏だけではありません)、ネガティヴな意味での「修正主義」であることは間違いありません。