土偶やストーンサークルは性を命の象徴として扱っていますが、現代では性はいかがわしいものとされています。性を命の象徴と尊ぶのは古代だけなのでしょうか。また、そうした考えはいつ頃変化したのでしょうか? / 生殖器信仰はなぜ主流ではなくなっていったのでしょうか。とくに、キリスト教のような禁欲的な宗教が生まれる背景を知りたいです。

日本では近世に至るまで、性的なことがらについて非常に寛容でした。現在でも生殖器信仰の祭祀、年中行事は残っていますし、欧米に対して性に関する禁忌も曖昧です(それが売春/買春などの横行を許容している一要因にもなっていますが)。一般にそうした風潮が抑圧され、社会の表面から排除されてゆくのは、やはり近代化の過程においてです。もちろん、それまでにも儒教などのなかに「淫猥」を否定する思想はあり、いわゆる武家の文化では「隠すべきもの」とされてきましたが、一般社会においては概ね寛容であったわけです。しかし、近代化のなかでそうした「欧米から軽蔑される要素」を「公序良俗に反するもの」として否定し、厳格な社会秩序、国家の威信を担う教育が徹底されてゆくなかで、上記のような思想や文化は社会の周縁へ追いやられてしまうことになるわけです。禁欲的宗教、禁欲的思想の始まりについては、一括りに論じることはできないでしょうが、共同体レベルではこれを維持してゆくための女性の交換(一集団内で近親婚を続けると集団時代が縮小再生産されることになるため、他共同体との通婚が必要となる。外から女性を迎えるためには自分たちも女性を提供する必要があり、性を抑制する規則が発生する)、王権や国家レベルでは牧畜と同様の性の管理などが、蓋然性のある理由として想定されています。