以前読んだ本のなかに、弥生時代への発展から遅れてしまった縄文人がクマソの先祖であると書いてありましたが、それは本当でしょうか。

確かに、九州南部では、他の地域に比べて水田耕作化がなかなか進みませんでした。しかしそれは、「発展が遅れてしまった」わけではなく、南部の土壌的特質であるシラス地質が、栄養価が少なく水はけが良すぎて水田に不適だったためであり、集落を営むのにより適切な生産手段を選択したために過ぎません。講義の冒頭でピエール・クラストルの話をしましたが、狩猟採集が原始的、稲作が文化的という発展史観は、現代に至る歴史の流れを正当化するために作られたひとつの見方であって、そのままの事実ではありません。確かに、南九州から沖縄、あるいは逆にアイヌの人々などは、弥生以来の渡来の波による交配の度合いが、西日本を中心とする地域に比べ弱かったとはいえそうですが、それがすなわち、クマソ=縄文人アイヌ縄文人という見方になってしまうのは、少し短絡的かなと思います。