集落の新旧交替の激化によって、旧勢力の集落はすべて新勢力に駆逐されてしまったのでしょうか?

後期の離合集散は、多くの集落の解体を生じます。例えば近畿では、中期まで代表的な大規模集落であった池上曽根遺跡なども廃絶してしまいます。しかし、楼閣の描かれた土器絵画の出土で有名になったヤマトの唐古・鍵遺跡など、やはり生き残ってゆくものもあり、それが次代の担い手となってゆくのです。唐古・鍵は、現在では銅鐸の有力な生産拠点としても知られていますが、それらの原料のほか、全国からヒスイや土器なども集まってきており、後の纒向遺跡などと同様に、流通の中心としてのヤマト地域の特色を示しています。