害獣の鹿を「守り神」と考える発想の転換は、どうして縄文時代にはなかったのでしょう。水田耕作がなかったからだけなのでしょうか?

狩猟採集時代の動物の主神話も、非常に両義的なものです。人間が狩猟対象とする獣のほか、大きな力を持った存在を主として捉えて信仰しますので、そのなかには人間に危害を加えうるものも存在します。イノシシやクマなどは典型的でしょう。そうした存在と契約を交わし、肉を送ってくれるもの、守護神のように捉えるのが主神話ですから、もともと頸峯の地名起源伝承の枠組みは狩猟採集時代の神話のそれであり、稲作農耕社会へ移行してゆく過渡期に前代の形式が変化して生まれたもの、と考えることもできるのです。