異質、ということはありません。南北朝時代は、とにかく北朝の胡族政権と南朝の漢人政権の対立が激しく、小競り合いが頻繁に生じていました。それぞれの王朝の内部でも、部族同士や王位継承をめぐる内乱が相次ぎ、社会不安が倍増されていたのです。塢堡は、胡族政権が河北を占領しようとしたとき、その脅威から逃れるため、ひとつまたは複数の村々が、声望家のもとに結集して南朝まで逃亡しようとしたもの。拠点を築いて胡族と戦いつつ移動してきます。南朝の漢人王朝は、これを政治的な意味で称賛し、迎え入れて登用するといったデモンストレーションも行いました。