自然科学では因果関係を観察できます。呪術でも、施術と効験で、験の有無などの、自然科学と同じ考えが出て来る余地はなかったのでしょうか。また、験のない呪術が廃れない理由は何ですか。
もちろん、呪術をめぐっても因果関係は確認されていますし、原因と結果も想定されています。つまり、そうした因果関係などの論理的思考が、近代科学と同じ様相ではない、同じようには働かないということです。科学哲学やエピステモロジーでいう、パラダイム、あるいは物語の相違です。コペルニクス以前の科学が、その理論をもって世界をある程度説明できていたにもかかわらず、それ以降の科学は、まったく別の方法で世界を説明するに至りました。近年の量子論、不確定理論もまたしかり。それぞれのパラダイムが支配的な認識世界では、きちんとそれに見合う論理があり、証拠が確認されているのです。そのどこに限界があるか、問題点があるかは、パラダイム・シフトが起きなければ分かりません。呪術が廃れないのは、その依拠している宇宙論・世界認識が人々の認識枠組みを支配している場合、たとえ効験がなくとも、それは呪術それ自体のせいではなく、扱っている術者に問題があったのだ、あるいは王の徳治が行き届いていないためだ云々、異なるポイントに力点が置かれて説明されるためです。しかし、決してそればかりではないのもまた事実で、廃れてゆく呪術もあり、新たな呪術が次々と生み出され、更新されてゆく場合もある。それもまた、科学が発展してゆくのと同じです。宇宙の真理にできるだけ肉迫するものをと、さまざまな思想体系が試行されてゆくのです。