西洋においては産業革命、学校の出現により、小さな大人と考えられていた「子ども」が「子ども」として捉えられるようになりましたが、古代中国において「子ども」の概念はあったのでしょうか。

古いところでいうと、前漢・馬王堆漢墓出土の『五十二病方』という医書に、嬰児の病に対する処方が載っています。病には、子供特有のもの、女性特有のものなどがありますので、その身体の構造や特徴に即して、独自のカテゴリーとして成り立ちやすかったものと考えられます。後漢の字書『説文』は、子供を表す「兒」字について、頭骨の頂上が合わさっていない形を示しているとします。しかし、それ以前の金文の「兒」字は、髪を左右に分ける子供特有の髪型を示しているともいわれます。いずれにしろ、(場合によっては通過儀礼などで区分された)「子供」というカテゴリーが存在したことは確かです。