英語の文献で、日本人の自然観について書かれたものを読んだことがあります。そのなかで日本人は、「人間は自然の一部」という考え方を持っており、長らく自然と共生してきたが、江戸時代頃には、「人間は自然の一部でありながら、自然を豊かにする力を持っている存在である」との考え方が、学者らの間でみられるようになったとありました。このような、自然に手を加え、自然を豊かにしようという考え方は、日本特有なのでしょうか。(熊沢蕃山に「怪物」という思想があったようですが…)

江戸時代の自然観は、多く儒教思想の読み直しのなかから生じてきます。天人合一の思想のなかで、人間の究極的には自然の一部であって、相関関係のなかに置かれている。その関わりにおいて、お互いに自己を実現してゆくことが可能であると捉えるわけです。また、明代中国では、「天工開物」といわれる思想傾向が強くなります。天から与えられた資源を人間が開発してゆく、人間の技術は自然のうえに成り立っているとの考え方で、産業の方向性に大きな影響を与えました。蕃山の関係でいわれたのなら、「怪物」ではなくこの「開物」でしょう。なお、類似の発想は、近代思想の権化ともいうべきマルクスのなかにもみられます。彼は、自然と人間との相関関係を重視し、「人間は自然を作り変えるが、人間も自然によって作り変えられる」、両者はそのなかで自己実現をしてゆくと捉えます。内的論理からすれば非常に深く重要なのですが、環境悪化が目にみえて進みつつあっても開発が必要なとき、自己の行為の正当化のために持ち出されてきがちな言説のひとつ、ともいえそうです。