環境から受け取ったアニマがアニメーションで表現されるという視点では、人間が負債感を持っていることは前提となるのか、疑問に思った。
深い質問です。人間は自然環境から多くのこと・ものを贈与されつつ、そのほとんどについては意識すらしていないと思います。例えば、生存の贈与の第一条件たる空気について、酸素を吸いながら、世界に負債感を持つ人はほとんどいないでしょう。贈与の質・量に比して、人間はほとんど後ろめたさを持たない、受け取っているという認識すらほとんど抱いていないのです。しかし、アニメートに限らず、その贈与は至るところで返済されている。千尋がハクから受けた救済=贈与を無意識の糧に、汚れた川の神を清め、カオナシに生きる実感を見出させてゆくのは、そのよい例です。アシタカが転ぶシーンを上手に描くことができて、はじめてそのとき、「ああ、自分は贈与されていたのだな」と気づく。贈与の大半はそういったものなのでしょう。