神秘体験をしたひとがみた仏の姿には、共通する点があるのでしょうか。そもそも仏は、何らかの形をもって夢に出てきているのでしょうか。

中国仏教の早い段階では、「金人をみる」「金身の人をみる」といった表現が多かったものが、六朝後半になると、具体的な如来・菩薩名を伴ったものへ移行してきます。これは偏に、仏画や仏像が多く将来され、また造立されてイメージが広がったため、仏の具体的な姿を想像することが容易になっていったためでしょう。神秘体験の真贋に拘わらず、そのイメージは、やはり時代や社会の影響を受けるものです。