2016-04-15から1日間の記事一覧

神秘体験をしたひとがみた仏の姿には、共通する点があるのでしょうか。そもそも仏は、何らかの形をもって夢に出てきているのでしょうか。

中国仏教の早い段階では、「金人をみる」「金身の人をみる」といった表現が多かったものが、六朝後半になると、具体的な如来・菩薩名を伴ったものへ移行してきます。これは偏に、仏画や仏像が多く将来され、また造立されてイメージが広がったため、仏の具体…

仏教のなかで語られる呪法は道教の影響を受けているとありましたが、他の宗教や民間信仰の影響を受けているものはありますか。また、日本に来てから道教の影響を受けた、といった事例はありませんか。

授業でも説明しましたが、曇鸞の論に引用されて出てくるものは、曇鸞の経験に基づくものです。仏教では禁呪を重視する密教があり、これはインド由来の呪術、西域由来の呪術によって構成されていますので、道教以外の在来宗教が起源です。日本においては、密…

曇鸞の引用のなかで、呪文の前に歯ぎしりをするという動作が出てきました。これが「月」に当たるのか「指」に当たるのか、考えると面白い問題なのではないでしょうか。

なるほど、それは面白い問題です。原文では、これを「切歯」としていますので、どう訳すべきか悩んだのですが、道教的な作法として「歯ぎしり」としました。道教では、言葉を唱える際に何らかのアクションを取る、ということが多いですね。ひとつの効能を生…

指月の譬の解釈、とくに曇鸞の論がいまひとつ理解できません。この考えの変遷は仏教の本質に関わると思います。賛否が当然戦わされたと思いますが、その点はいかがでしょうか。それとも正統、賛否自体が仏教の本質ではない? / 曇鸞の考えは、釈迦のそれを否定していることにはならないのですか?

指月の譬自体は、喩えですので、解釈の仕方自体が大きな問題となることはなかったようです(もちろん、論理的に誤っているのではないか、といった議論は後世に至るまで交わされてきましたが)。仏教は経典の読みに対する再解釈によって発展してきたところが…

経典というものについて、自分が思った以上に理解していなかったことに気づかされました。聖書のように、公的に編纂され、それひとつだけを絶対的に教典とするのではなく、さまざまな教典とその注釈書をもとに、仏教の教えは展開したという理解でよいでしょうか。

概ねよいと思います。これは、ブッダと呼ばれる覚者が、いわゆるシャカ=シッダルタに止まらないと理解されていったことに原因があります。概ね仏教の教えを語るのはシャカですが、その背景には無限に続く過去のなかで生命の救済をし続けてきたブッダがあり…

「正統の濫立」という言葉がありましたが、これはそれぞれ自分が救われるものを選択してゆき、それを正当化しているからこそすべての仏教が正統、ということでしょうか。

客観的にみると、それぞれの宗派が自分こそは正統なる仏教と唱える状態、林立・割拠の状態にあるということです。より宗教的内面に則して考えると、例えば授業中に例示した天台宗のように、『妙法蓮華経』こそが正統な仏教であるとする立場がある。これは教…