堅果類を煮沸したり、あく抜きしたりして食べることによってデンプンを消化可能にし、氷河期に狩猟で得ていた栄養価を補うことができたとありましたが、縄文の人々は、どのようにしてそのことを知ったのでしょうか。

現在の栄養学的なレベルにおける知識は、もちろん所有していないでしょう。現在からみると、あたかも縄文時代の人々が、何もかも知っていたように土器を用い、煮沸やあく抜きで堅果類を摂取していたようにみえますが、現実には、そうした試みを重ねてきた集団が生き残ったということです。氷河期から縄文へかけての環境変化のなかで、列島のなかで生活していた複数の集団は、それぞれ食糧として獲得できるものを探索し、目前に展開する自然環境を網羅的に利用する方法を開発し続けてきたはずです。森林のなかで小動物を狩猟しやすいように小型の弓矢を開発し、氷河期にはなかった漁労用の様々な道具も、銛から釣り針、梁、網などさまざまに開発していった。それと同じように、堅果類を美味しく摂取する方法を、長い時間をかけて見つけ出し、一般化していったのでしょう。開発されたさまざまな方法のなかで、最も栄養価を高く摂取する方法が、結局は集団自体の健康、生存と密接に結びつきながら持続したわけです。それを現代の知識で分析すると、前回お話ししたような形で説明できるということです。