2016-04-18から1日間の記事一覧
授業では、そうしたことではなく、あくまで環境の利用の仕方、生活の仕方に由来することと説明しました。しかし実際に災害への知識が伝承されていたとすれば、それは神話など口承の語りによってでしょう。土偶や環状祭場の遺跡を通じて、縄文時代にもシャー…
縄文期の地層で津波による攪乱が起きた場合、人間の痕跡がどのように破壊されたのかは、何らかの形で残ります。もちろん、津波によって流された生活痕跡も皆無ではなかったと思いますが、そうしたものが今のところ確認されていないのです。また、海岸線に接…
堅果類を煮沸したり、あく抜きしたりして食べることによってデンプンを消化可能にし、氷河期に狩猟で得ていた栄養価を補うことができたとありましたが、縄文の人々は、どのようにしてそのことを知ったのでしょうか。
現在の栄養学的なレベルにおける知識は、もちろん所有していないでしょう。現在からみると、あたかも縄文時代の人々が、何もかも知っていたように土器を用い、煮沸やあく抜きで堅果類を摂取していたようにみえますが、現実には、そうした試みを重ねてきた集…
日本全国の縄文時代の地層から、野焼きの際に生じる微粒炭が広範囲にみつかっているのです。ただし、これがなぜ生じたのかは憶測の域を出ません。アジアには狩猟の際に火を用いる方法もありますが、概ね焼畑であろうと推測されている情況です。もちろん、地…
遺跡としてみつかっている墓や集落などを中心に、食生活のあり方、社会・経済のありようを考え、前後の時代と比較して類推しています。もちろん、正確さについては常に注意が必要で、計算の仕方や学説についてももろもろあります。授業でお話ししたのは、あ…
形質人類学的には、一般的にいわれているような、がっしりした体格で体毛の濃い縄文人、痩せ形で身長の高い弥生人といった区別は、もちろん種々の例外や多様性を含みながらも、まったくのでたらめではありません。ただし、現在のDNA分析は、さらに多種多様な…
論理的にはそうなるでしょう。しかし、授業でお話ししたとおり、旧石器時代の人間の痕跡さえ、充分に出土しない情況ですので、発掘によって実証することは困難です。ただし、例えば弥生時代の遺跡などは、確実に西日本へ集中し、半島や大陸への玄関口であっ…
渡れます。日本列島以外でも、ポリネシアでは、丸木船を用いて大洋を横断していた人々がいました。
まず注意しなければならないのは、氷河期から縄文時代へかけての気候変化・環境の変動は、例えば数日や数年のうちに世界が一変してしまったというわけではなく、極めて長い時間をかけて変化が生じ、そのなかでヒトは次第に適応をしていったのだということで…
このような気候においてはこのような気質、と法則的に一括することはできないでしょうが、ある程度の傾向は確認できるでしょう。ただし、南方地域は享楽的、北方地域は閉鎖的といった単純な考え方ではなく、気候、土壌、植生、景観、歴史過程などから総合的…
14Cは、年代測定の際に、最も一般的に計測対象とされる放射性炭素同位体です。
もちろん、これまでの核実験などにより、大気中の放射性物質の濃度は変動するので、近現代以降にはさまざまな攪乱が起きていることにも注意しなければなりません。しかしこれは、何百年もかけての規則的な変動と比べると、まさに「攪乱」、すなわち例外的誤…
古気温曲線で示した気候変動は、何百年、何千年もかけて、自然現象として起きるものです。それに対して現代の地球温暖化は、人間活動の結果として、これまで地球が経験したことのないほど、短期間で急激な変化を生じているものです。一緒にすることはできな…
ナマズについては、アジアの各地で、「大地を載せている魚」との伝承があります。それゆえにもともと、地震の原因をナマズの震動に結びつける考え方があったものと思われます。しかしそれは、自然現象に対する数ある説明の仕方のひとつに過ぎませんでした。…