中国は、「野蛮な国から来た仏教を信奉する」というコンプレックスを、どのように克服したのでしょうか。 / 仏教では中心になれなかった中国ですが、そのことと儒教が有力な宗教であったこととは関係があるのでしょうか。

最終的に、完全には克服していません。しかし、面白いところでいえば、例えば初唐に活躍した道宣という僧侶は、その著書『集神州三宝感通録』に、インドの聖王アショカ王が支配地に建立したという阿育王塔が、中国にも存在するという逸話を数多く集めました。それはなぜなのかというと、阿育王塔の存在する場所はアショカ王の支配地、すなわちインドに当たるからなのです。道宣は仏教的な神話を利用することで、中国もかつてはインドであったと立証し、中華思想的ジレンマを解消しようとしたわけです。なお、確かに儒教道教は中国仏教が拡大するうえで障害となることもありましたが、しかしこれらの宗教があったからこそ、東アジアの感性や心性に適合した、新しい仏教が誕生したのだということもできます。そのあたりについては、講義でも追々お話ししてゆくことにしましょう。