人間の生活の犠牲になったもの、非業の死を遂げた者が、怨霊になって祟りをなすとする発想はなかったのでしょうか。

プラスの精霊的存在があれば、マイナスのそれも存在する可能性は否定できません。どの程度のものが考えられていたのか、それを立証する材料はみつかっていませんが、怨霊か祟りかはともかく、人間に災禍をなす超越的存在は想像されていたでしょう。遺体に施朱を行ったのは、まさにそうしたものが取り付いて、もしくは入り込んで、遺体が悪霊化することを防ごうとしたものだと考えられています。