縄文時代に、遺体が忌避すべきものから信仰の対象へ変化したのは、何を契機としたのでしょうか?

時間の関係できちんと説明できなかったのですが、縄文時代の前期から中期にかけては、巨大集落が離合集散して小集落となり、やがてまた集合して大規模集落が作られてゆく段階で、墓に納められていた骨を集めて合葬するという習俗が発生するのです。集落を離れるときに遺骨を持ち運ぶことがどのように始まるのかは、未だ分からないことが多いのですが、その時点で、遺骨への意識が変化していることは確かです。古代中国の儒教では、人間の身体を、父祖から与り子孫へと受け渡される、自氏・自家の歴史の受肉したものと捉えられていました。それゆえに、勝手にそれを傷つけたり、ましてや子孫を残さずに死んだりすることは、「不孝」とされたのです。日本列島においては、先人の遺骨こそが歴史の体現であり、村落の再結集などに当たり「過去」が意識されることによって、だんだんと意識の変質が進んできたのかもしれません。