縄文時代に死と再生の信仰があったとすると、死に対する恐怖はなかったのだろうか。当時の人々の死に対する意識がどのようなものであったか、気になった。

逆に、死に対する強烈な怖れがあったからこそ、再生への転換が願われたとみた方がよいでしょう。自然の生命エネルギーの支えがなければ、人間などすぐに失われてしまう。そうした認識が、生を希求する縄文文化の核をなしていったのだと考えられます。