縄文社会が弥生の変化を受け入れることができた、その「基盤」とは何だろうか。
1万年の長期を経て醸成されてきた縄文社会、縄文文化が、渡来系の弥生社会、弥生文化によって駆逐されたのではなく、融合し現在に至ったことは、各地域の文化の重層性と多様性、縄文的傾向によって明らかにされています。また、現在日本列島に暮らしている我々のDNAにも、縄文的特徴と弥生的特徴が併存しており、両者が婚姻を重ねていまに至っていることが判明しています。縄文が弥生に駆逐されなかった、滅ぼされなかったということは、渡来系の高度な文化の流入に適応し、その知識や技術を習得したり、あるいは内容を把握して取捨選択できる社会的基盤・文化的基盤を、縄文社会が保有していたことを意味します。例えば植物を利用して籠や容器を編む技術ですが、近年の発掘で縄文期のそれが保存のよい状態で出土し、当時朝鮮半島にもなかったような高度なモノを製作していたことが明らかになっています。そうした物品の存在、それを製作する技術の存在は、交易や交流にも有利だったでしょうし、渡来系文化を縄文的にアレンジして吸収するうえでも役に立ったでしょう。