仏図澄は、『梁高僧伝』では「酒を飲まなかった」とされていますが、敦煌壁画では酒を吹いて雨雲を出したとあり、伝承とはいえ気になりました。

鈴鐸の話も『梁高僧伝』に出ていますので、記述者の慧皎はそのあたりを矛盾しないよう配慮したと思います。すなわち、最後の仏図澄の自説の原文は、「酒は齒を踰えず」です。すなわち、口に含んでも歯の奥に入れなかったという書き方なので(可能かどうかは別として)、飲んではいないのだということを強調しているのでしょう。