時代は異なりますが、日光東照宮の三猿「みざる、きかざる、いわざる」も、同じ仏教の守護神的な位置づけなのでしょうか? / 三猿のルーツはエジプトにあると聞いたことがあるが、そこから伝来してきた可能性もあるのだろうか?

日光の三猿は、人の一生のあり方を諭す猿の一代記の一場面で、とくに辟邪の意味合いを持つ意匠ではありません。不見・不聞・不言の訓戒は中国に古くからあるもので、これが日本に伝わり、猿を神使とする山王神道日吉社を鎮守とする比叡山で、否定のサルと猿が掛けられて醸成されてゆくものでしょう。日光東照宮をプランニングしたのは天台僧の天海で、彼は東叡山として上野寛永寺も造営していますので、彼によって比叡山の信仰が移植された可能性はあります(もちろん、ユーラシアを横断する意匠が伝わった可能性もあります)。三つの訓戒に由来する三猿は、その後、庚申信仰に基づいて広がってゆきました。庚申信仰とは道教に由来する民間習俗で、人間の体内には三尸という虫神がおり、これが庚申の日になると宿主の身体を脱けだし、天帝のもとへ上って宿主の悪事を報告する。すると天帝は、その人間の寿命を縮めてしまうため、庚申の日にちはみなで集まってお互いを見張り、翌日へ夜が明けるまで寝ずの番をする、というものです。庚申講という組織によって進められますが、それを記念して立てられたのが庚申塔という石塔で、悪行を抑える訓戒として三猿が記載されているのです。