僧侶が悪い行いをして神に「なってしまう」のと、修行に耐えて神に「なる」のとでは、動物としてか人間のままでかの相違だけで、崇められる対象という点では同じであると思う。何が違うのか。

仏教では、修行によって神になるという発想はありません。それは神仙思想、もしくは道教のものです。仏教にとってあらゆる神は邪な存在であり、しかし護法、奉仏に転じることによって、その地位は大きく転換することになります。