『梁高僧伝』において神の身に「堕ちる」と表現するのが、よく分かりません。神は高貴な存在ではないのでしょうか。
以前にもお話ししましたが、仏教は、在来の宗教を取り込むときに、民間で崇められる祠廟の神を「餓鬼道」に配分します。神仙は「天人道」にも配されますが、これは仏教に帰依し護法の神となったものがほとんどです。なぜ餓鬼道なのかというと、祠廟の神へは、主に酒・肉が供えられるためです。酒は、仏教の五戒のうち不飲酒戒で禁止されており、同じく肉は不殺生戒に関わります。すなわち神身に生まれるということは、酒肉を受けて罪業を作り続けるようになるということで、また人々の強欲を刺激する祈願を受けたり、人に災禍をもたらすなど邪な行いもせざるをえない。ゆえに大きな力を持つけれども、神は人間よりもレベルの低い生命と(政治的に)位置づけられているのです。