『日本書紀』に書かれている初めの方の時代は、真偽を判別する材料があまりないので、虚構と判断できないのではないでしょうか。

これまで、中国文献や考古資料を分析して描かれる歴史像を示してきましたが、『日本書紀』に描かれた世界はそれとはまったく異なります。前後の文脈や区分論を駆使することで、その事実性を批判することは充分可能です。例えば、神武天皇の橿原遷都の令など、ほとんど『文選』や『周易』などの漢籍から文章を援用して作成してあるのですから。『書紀』の文章には、漢籍を丸ごと引き写して、あたかも日本の史実のようにみせている箇所が散見されるのです。例えば、崇仏論争などは典型的で、『梁高僧伝』『法苑珠林』などの仏典を駆使して述作されています。こうした史料に精通してゆくことで、『書紀』の史料批判も可能になってゆくのです。