2016-06-06から1日間の記事一覧

群臣たちの職掌は多岐に分かれていますが、例えば刑務所のようなものも存在したのでしょうか。

いわゆる監獄が成立するためには、囚人を危険視し隔離する、隔離している間何らかの労役に駆使するなど、それを支える思想や制度が必要になってきます。生産をしない囚人を養っておくだけでも費用がかかるので、王権や共同体の規定を破り罪に問われた場合、…

日本のように天皇のような権力者を神と見立てる国は、他にあったのでしょうか。また、この現御神的なあり方が、近代まで続いたのはなぜでしょうか。

日本人は天皇のことを特殊視してしまいがちなのですが、まず、そもそも中国皇帝自体が神的存在です。まず「帝」とは、中国古代においては、天上の主宰者そのものを意味していました。人間が辿り着くことのできる地位は「王」が頂点であり、「帝」は人間と意…

神話の生産・普及とありましたが、どのように普及させたのでしょうか。当時の識字率がどれくらいかということにもよりますが、低ければ口頭ということになるのでしょうか。

神話とは本来、口頭伝承として語り継がれ、広がってゆくものです。古代においては、それを職掌とする部民の語部や、伴造氏族の語臣などが存在しました。文字としての普及よりも、そうした語りのネットワークこそが社会に根付いており、王権は新たな神話や神…

石川氏に改名した蘇我氏は、倉山田石川麻呂の系譜でしょうか。だとしたら、謀反人として殺されたのになぜ子孫は残されたのですか。

倉山田石川麻呂の謀殺事件は、その直後、冤罪であったことが中大兄自身によって表明されています。しかし、石川麻呂の直系は滅ぼされてしまったため、その後継は弟たちが担うことになります。しかし、次代の蘇我本宗家を引き継いだ蘇我赤兄・果安らは、壬申…

次期大王の候補者である大兄は、どのようにして有力豪族を関係を構築していったのですか。 / 王族たちの「実力」は、王権のなかでどのように認められていったのでしょうか。あるいは、彼らが担う役職は、どのように決められたのでしょうか。

大兄が運営する宮は、王権の職掌を分担しています。例えば厩戸王(彼は称号としては「大兄」を持ちませんが、斑鳩宮を運営したことは考古学的にも確認される歴史的事実なので、「大兄」的な立場にあったと考えられます)ですが、彼には内政・外交の補佐、そ…

継体王朝で王統が断絶したということは、天皇家は一つの家系で続いてきたわけではないということですか。

現在歴史学で古代史を研究している研究者で、天皇の万世一系を史実と捉えている人は皆無でしょう。もしそれを標榜している歴史研究書があるなら、それは歴史学を知らない人物か、国学的立場で天皇家のありようを絶対視している研究者のものでしょう。

『日本書紀』に書かれている初めの方の時代は、真偽を判別する材料があまりないので、虚構と判断できないのではないでしょうか。

これまで、中国文献や考古資料を分析して描かれる歴史像を示してきましたが、『日本書紀』に描かれた世界はそれとはまったく異なります。前後の文脈や区分論を駆使することで、その事実性を批判することは充分可能です。例えば、神武天皇の橿原遷都の令など…

『日本書紀』の区分論で、新しく編纂された部分に和化漢文が多いのはなぜですか。

和化漢文は、当時の東アジア的常識からすれば、「誤りの多い文章」ということになります。α群はネイティヴの渡来人が作業に当たったため、正格の漢文と中国語音韻を用い中国の文献に準拠して書かれていますが、β群は中国文化に習熟した日本人が作業に当たっ…

『日本書紀』が作られたとき、「日本」という国号の存在はありえないと思うのですが…。

うーん、どうしてそうした知識を持ってしまったか分かりませんが、日本国号の所見は大宝の遣唐使です。ゆえに少なくとも7世紀末には、東アジアに「日本」を国号とする画期があり、『日本書紀』はその「日本」の歴史書として編纂されたとみられるのです。

なぜ飛鳥のような場所に、6〜7世紀にかけて政治の中枢が置かれたのでしょうか。4世紀後半かわ河内に権力が移動したのなら、そのまま大阪周辺に置かれるのが自然だと思うのですが…。 / 飛鳥のような奥まった場所に、都が置かれる理由が分かりません。

河内から再び奈良盆地へ王統が移ったのは、授業でもお話ししたとおり、奈良盆地の王統に中国王朝とのパイプが強くあったためと考えられます。朝鮮半島の政治情況が混乱してくるなかで、それを俯瞰する政治的立場が必要になったとき、やはりよい高位の地位か…

王位継承が血統や世代を重視する方向へ変化すると、やはり実力的には質の低下が起きてくるのでしょうか。

「血統」の範囲が狭まれば狭まるほど、権力体の分裂の危険は少なくなり統一性は高まりますが、逆に選択肢が限定されるため、質の低下や断絶の危機は高まることになります。これらを回避するためには、継承の道筋をある程度豊かに広げておきつつ、そのランク…

中国の「天下」は秦の統一によって完成したものですが、日本の「天下」はいつ完成したのですか?

列島社会で独自の「天下」観が生じたのが、やはり雄略の頃であったと考えられています。授業でも扱った金石文には「治天下」の字句が出てきますが、当時天下を主宰しうるのは、本来的には中華の皇帝のみでした。雄略はそのなかにあって、表面的には宋王朝の…

実力行使で権力を求めた人たちは、なぜ国の頂点に立ちたいと思ったのでしょうか。

どうでしょうか、難しい問いですね。しかしひとつ注意しておかなければならないのは、彼らが現在よりも社会的セーフティネットの乏しい世界で、常に「生存」を意識しながら活動していたのだということでしょう。自らの率いる氏族なり、血族なりをより安定的…

日本は氏族制が強く、科挙が定着しませんでしたが、なぜそうなってしまったのでしょう。世襲制にメリットがあったのでしょうか。

やはり文字どおり、氏族共同体の紐帯が強い社会だった、ということでしょうね。中国では、長期にわたって氏族とそれを超越した官僚制との対立・葛藤があり、そのなかから科挙などの制度が生み出されてきたわけですが、日本の場合はそうした歴史「過程」を経…

氏族の歴史で評価されるのなら、もし過去に不名誉なことをした祖先がいたら、排斥の理由になるのだろうか。 / 一族の繁栄が「奉事」で決まるのなら、『古事記』や『日本書紀』などの編纂に際し、不正を行って改竄などをする例はあったのでしょうか。

そのとおりですね。ゆえに、王権に対する反逆者などを輩出してしまっては、その氏族、家柄と王権側との関係は乱れ、疎外を受けることにもなる。奉仕の概念が、氏族としてのあり方を縛ってしまうのです。適切な例かどうか分かりませんが、『日本書紀』推古紀…

姓=カバネと屍=シカバネの間には、何か関係があるのでしょうか。

これは実は、分かっていないことが多いのです。カバネについては、カブネ(株根)もしくはカブナ(株名)が語源で、出自の根本を指すといわれています。ゆえに、それがひとりひとりの人間の根源とも捉えられるようになり、死体のことをシニ(死に)・カバネ…

「仗刀人」「典曹人」という言葉は初めて聞きましたが、この地位は江戸時代でいう士農工商の士、農に当たると考えてよいのでしょうか。

まず、士農工商は身分制度ではなく、生業の分類に過ぎないことを確認しておく必要があります。士は文武の官僚として国に奉仕する人々、農は農業、工は工業、商は商業の生業で生活する人々で、それぞれ身分の上下を表現しているわけではありません。そのうえ…

盛んに国際交流がなされていますが、当時の日本人はどのような言葉を話していたのでしょうか。

平安時代以前のヤマト言葉には、例えば現在使われている以上の音韻があり、かなり朝鮮半島のそれと共通した言葉遣いの含まれていたことが分かっています。とはいえ、まったく同じ言語を使用していたわけではありません。長く朝鮮半島/日本列島との交渉に携…

倭の五王は、「倭」姓を名乗ることで王朝の安定を目指したとのことですが、実際その頃の政権は安定していたのでしょうか。 / 継続性のあることが尊いとする認識は、一体いつ生まれたのか。

ちょっと誤解があるかもしれないのですが、対外的に「倭」姓を名乗ることが政権の安定に繋がる、という話をしたのではありません。もちろん、権力者はその体制が安定的に持続することを望むはずですし、大局的には政権自体の安定性に関わる問題ですが、上記…