藤原氏の南家、北家、式家、京家とは、何を示しているのでしょうか。

藤原四子が、それぞれ独立して起こした家です。以降平安時代にかけて、宮廷においては氏族としてのまとまりが細分化し、家の時代になってゆきます。それぞれの名称は、武智麻呂と房前の家がそれぞれ南北に位置したことから南家、北家となり、式家は宇合が式部卿にあったため、京家は麻呂が左京大夫にあったため、その官職から通称されました。