恭仁が橘諸兄の本拠地ということは、葛城氏の本拠地が恭仁であったということでしょうか。

恭仁京の置かれた木津は7世紀より物資流通の拠点として栄え、淀川水系を用いて水路で運搬された物資が、ここで水揚げされ南の藤原京平城京などへ車などで運送されてゆきました。橘諸兄の別業(別荘)の置かれた井手地域は、このような環境のなかで渡来系氏族の定着も進み、早期に仏教も入って多くの白鳳寺院が造営されました。諸兄が同地を本拠地として定めたのは、蘇我氏以前に渡来系氏族を差配していた葛城氏の影響があったのかもしれませんが、同所は葛城氏の本拠というより、橘諸兄が自らの〈足場〉として新しく築いた場所であったと考えられます。