道鏡は皇位を奪おうとした悪人とのイメージがあるが、実際は何を考え行動していたのだろうか。先生は、道鏡が悪人だと思いますか。

道鏡の個性については史料が少なすぎ、なかなか議論するのが難しいように思います。しかし、称徳の意向を忠実に実現しようとした人であったことは、間違いありません。悪人かどうかということは、多くの後世の政治的意図に基づく価値付けに過ぎませんので、あまり意味をなさないように思います。ただし、あえてその清廉潔白さを図るとすれば、道鏡の弟である弓削浄人の存在が鍵になるかもしれません。彼は、恵美押勝の乱以降、道鏡政権のもとで急速に昇進し、参議を経て就任した大宰帥の立場で、宇佐八幡と連携し道鏡の即位を目論みます。権威の背景が称徳の寵愛しかない道鏡にとって、政権の主要部分を身内で固めることは不可避の選択肢であったのかもしれませんが、仲麻呂のように政権を私物化するものとみなされ、貴族たちのなかから浮き上がってゆく。このあたりのことが称徳の指示であったのか、それとも道鏡の企図するところであったのか。道鏡という人物を考えるポイントとなりそうです。