人間関係が複雑でよく分かりませんでしたが、藤原北家が他の藤原氏勢力を排除していった、ということでよろしいでしょうか?

ものすごく端折って説明してしまいましたので、分かりにくくて申し訳ありません。そうですね、奈良時代半ば以降、藤原四家の競合から北家が脱けだし、さらに北家のなかで幾つかの流派が競合して、最終的に兼家流が摂関家として確立してゆくという流れになります。その過程で、種々の謀略・政変が勃発し、その度ごとに他氏、他家、他流が排斥されてゆくということです。