遣唐使の停止以降、唐物の流入がむしろ拡大したのはなぜですか? / 私的な貿易が発展していたとすると、相応の航海技術があったということでしょうか。 / 私的貿易に朝廷が介入していたのなら、それは結局公的貿易といっても過言ではないのでは?

上に答えてきたことからすると、遣唐使の停止云々は、交易には大きな影響を及ぼさなかったようです。情況としては、9世紀の半ば以降、唐物をめぐって、院宮王臣家や大宰府管内の富豪層が買い占めを行う情況が問題化していました。交易品については、律令(関市令官司条)に国家による先買権が設定されていましたが、これが次第に侵犯される事態に到っていたのです。王権は、貞観5年(863)頃から、唐・新羅の商船がもたらした舶来品を優先的に購入する唐物使を蔵人所から派遣、まず朝廷の必需品を購入しました。しかし、それが阻まれるようになると、貞観16年には、商船が海にいる間に少人数で便乗し買い上げを行う、入唐使の派遣に踏み切ります。唐物の需要は次第に拡大し、宮廷社会にも多くの中国文物が溢れました。これらには確かに公権力が介在していますが、国家と国家とが公式に提携して行った交易ではないので、私的範疇のものと理解されています。