僧侶が外国の典籍を理解し、自分の言論を展開させ、書き記してゆく能力は、どの段階で習得されるのでしょうか。

いま、外国語の習得に四苦八苦している我々のことを考えれば、重要なことですね。それゆえに古代においては、僧侶の出自で圧倒的に多いのは渡来系氏族です。氏族内の種々の家系、氏族間のネットワークに、漢語の習得や仏教の研鑽に関するファクターがあり、仕組みが整っているということでしょうね。そうした環境のなかで、まずは在家のまま、恐らくは同氏族もしくは姻戚関係にある氏族出身の師僧に付き、仏教の初歩と経典の読み方などを学んでゆく。しかしこのレベルでは大したことはできないようで、例えば正倉院に残存している「優婆塞貢進文」(得度させるべき修行者を推薦した上申書)には、読誦・暗唱できる経典のほとんどが短い陀羅尼(呪文)であったりするのです。いずれかの寺院に所属し、多くの経典に触れられるようになって、初めて能力の開花してゆく者も多かったはずです。