8〜9世紀の平安京周辺以外で、朝鮮半島・中国大陸も含む東アジアの仏教の展開のなかで、良源的生育環境→良源的思想形成をなした例はみられるのでしょうか。

恐らくどこかに同じような事例はあるのでしょうが、残念ながらまだ発見できていません。いくら草木成仏に主体性がないといっても、いくらおしなべて開発に肯定的であるといっても、「大木の秘密」にしろ「樹霊婚姻」にしろ、原型はすべて中国にあります。高僧伝類などにも、樹木に対するシンパシーのうかがえるモチーフは見受けられるのですが、例えばその主体である僧侶が草木成仏をどのように考えていたのかは史料がないわけです。しかし例えば、銭塘江(潮の満ち引きとの関係で逆流現象が起きる地として著名)の神との逸話がある曇鸞が月の譬喩を用いるなど、環境と思想との繋がりを密接に感じさせる事例はあるわけです。大理のシンクレティズムのなかにありそうだなと、物語り世界を探ってはいるところです。