授業には直接関係ないのですが、最近、ポリティカル・コレクトネスがネットで話題ですが、これの暴走が起きていると私は思います。どうでしょうか。

「暴走」をどういう意味で使用しているのか分からないのですが、「倫理的配慮が行き過ぎる」という意味なら、ぼくはそうは思いません。確かに価値観の多様化により、さまざまな倫理的根拠は入り乱れており、トランプ以降のアメリカと同じく社会的分断が進んでいることは確かです。例えばぼくが研究している諏訪大社では、ある弁護種グループから、その伝統的神事である蛙狩りが動物虐待と非難され、御柱祭が人命を軽視する神事として攻撃されています。相手は「批判先にありき」で攻撃のための攻撃を行っているので、議論しても共同の着地点は見出せません。こういう場合は、研究者が何らかの形で介入しなければならないでしょうね。しかし、日本の社会が、他者を抑圧し暴力を振るうことに無頓着で、責任を感じない特徴を持っていることも確かで、倫理的公正さをめぐっては、慎重に慎重を期すべきと考えます。例えば、最近一般的語彙として定着してしまった「ブラック企業」。公共放送でも普通に使用していますが、もとはネットスラングで、黒=悪と、blackにマイナスの意味を持たせたものです。このような用法は、黒人差別の歴史をくぐり抜け、現在も直面しているアメリカなどでは使えません。日本にも黒人の人々は住んでいるわけですから、彼らへの暴力にもなりうる言葉遣いなのです。グローバリズムを叫んでいながら、倫理的にはまったくグローバルになっていない。人権問題については国連の勧告を受け続けており、こうした倫理観の欠如に、日本社会の問題が表れているように思います。