ヨーロッパには、「自然の支配は神によって認められている」との発想があるが、日本列島における環境破壊に対する認識の希薄さは、いったい何に由来するのだろうか。

非常に重要な質問です。非常に単純な答え方をすると、これは自然環境に対する依存度の強さです。各時代の気候変動、列島内の位置によっても微妙に異なりますが、しかしおしなべて、日本列島は生命の生育において「実に絶妙な位置」にあります。すなわち、人間が環境にその爪痕を残しても、たいていの場合は、数十年経つうちに回復してしまう。そのことによって、列島に暮らす人々は、自分が、祖先が環境に対して何をしてきたか、容易に忘却してしまうことができるのです(これは、歴史意識の希薄さにも繋がってきます)。そうした忘却の繰り返しは、また、「自然には何をしてもよいのだ」という甘えを助長してゆきます。このようにして、あたかも乳飲み子が無邪気に母親の生命を貪るように、日本列島の心性には、自然への愛情と過度な破壊、それに対する自覚と責任感の欠如が同居しているのです。