江戸幕府や諸藩が、植生についてこれほどしっかり調査をしていたのは、問題意識が高かったためですか。

正確に土地の生産力を調査し、租税をしっかりと徴収するためです。ゆえに正保の国絵図・郷帳を生み出した検地は、中近世移行期の人々の自然観、心性を大きく転換する画期であったと思います。