長期にわたる大集団の移動とは、具体的にどのような形で行われたのだろうか。

考えてみますと、例えば統一秦末期の群雄割拠状態でも、数千数万の武装集団が長距離を移動していますね。移動の過程で複数の村々から物資の提供を受けたり、あるいは掠奪を繰り返すグループなどもあったようです。しかし塢堡のような事例は、あまり無理なことを行って紛争、戦闘を繰り返すことになれば、確実に疲弊します。ある程度の狩猟採集を行うほか(史料に示したような塩の生産や鉱業なども重要です)、やはり周囲の都邑とのネットワーク、大規模な政治権力などに協力を仰ぐことで、物資を融通してもらう場合が一般的だったでしょう。そのためにこそリーダーの声望が重要な意味を持ち、競合勢力や上部権力に一目置かれる必要があったものと思われます。