古代の人々は、科学が発展した現代を生きる我々より自然への畏敬の念が強かったと思うのですが、どうして自然の神霊はヒトをモデルに作られたのでしょうか。

まず、近代科学主義の我々が自然/文化を峻別して考えてしまうのに対し、前近代社会、民族社会では必ずしもそうは考えないということに注意が必要です。ヒトを至上だとも考えないかわりに、他の動植物を至上だとも考えない。そうしたフラットな地平で世界をみてゆくとき、自分のものさしである〈人間の視覚〉を駆使した結果として、コミュニケーション可能な存在を同じ人間として認識していったものでしょう。彼らにとって、ヒトも他の動植物も交換可能なもので、よって毛皮を着れば人間も獣になれるし、毛皮を脱げば動物も人間になれるわけです。擬人化がヒト至上主義の影響だとは、必ずしもいえないのではないかと思います。