メトる=女取るから「娶」の成立に至った漢字文化と、7世紀の日本文化は相違していたわけですが、反発もなしに受け容れられたのでしょうか?

中国の言語文化と列島の言語文化は相違しますので、このような齟齬は多く確認することができます。翻訳の際に生じる問題として、現在にも広く見受けられることでしょう。すべての事例にわたって詳細にチェックをしたわけではありませんが、この種のケースでは、概ね列島社会の現実が中国的に改変させられてゆくことが多かったようです。例えば、イマシに対する「汝」という言葉。イマシは対等の相手にも使用した言辞でしたが、「汝」は主に目下の相手を表象する言辞でした。祝詞のなかには神をイマシ=「汝」と呼ぶものがあり、例えば天皇の日常的に暮らす宮殿を鎮祭する「大殿祭」が知られますが、これなどは祭祀の主催者忌部氏によって構築される神格屋船命を「汝」と呼んでいます。祝詞を漢字を用いて表記することによって、その内実が変化してしまった可能性もあります。