国学が〈原日本〉を求めたとありましたが、そもそもどの文化も、隣接する地域のそれに影響を受けて形成されるものでしょう。世界中どこを探しても、まったく「純粋」な文化など存在しないと思いますが、それにあえてこだわり「脱亜」を進めたのは、それだけ日本を発展させたかったからでしょうか。

文化については、仰るとおりですね。民族などもそうです。純粋なものなど、どこにも存在しない。何かに恣意的な価値付けをしたいとき、卓越した位置を設定したいときに、そうした「ありもしない」原理主義、ピュアリズムが働くのです。生態系における生物多様性もそうですが、本当は、混成的なもの、複合的なもの、最近ではクレオール、サイボーグ、ハイブリッドといった概念で表現されますが、そうしたものほど強靱で奥が深い。なお脱亜の問題は、帝国主義のもとで搾取の対象になっていたアジアから脱却したい、自分は搾取する側に回らなければならないとの欲求が大きかったはずで、事実そうした方向へ帝国日本は舵を取るわけです。自分たち自身は古代神話に基づく支配体制を樹立しながら、アジアを後れたものとして下にみて、足もとの「歴史」「文化」、辿ってきた道のりをきちんと見据えなかった。現状もその傾向は強く働いているので、同じような破綻が訪れるのではないかと心配です。