フィールドの話で、フィールドという言葉には、人間が労働によって領域化する以前の、未分節の空間そのものの意味が含まれているとありました。そもそも人間は、何らかの労働をしていたのではありませんか?この場合のフィールドは、人間が地球に誕生する前のことを指しているのですか?

個々の人間の、認識の世界の話をしているのです。基本的に生命体は、周囲の空間を五感と身体によって意味付け、自分にとって生存しやすい世界を創出して生きています。これを、生態学的認識論では、〈環世界〉といっています。感覚器官やその性能が異なるそれぞれの生物は、同じ空間を共有していながら、みなまったく別々の環境に生きている。例えば、温覚と触覚しかないダニが認識している環世界と、すぐそばにいながら我々が認識している環世界とは、まったく異質なものであるわけです。人間は、この感覚器官に言葉を加えて、空間を意味付けしています。よって、言語文化の異なる民族では、みている世界が異なる。豊かな色相語彙を持つ民族と持たない民族とでは、実際に虹のみえかたが違うのです。話を戻しますが、生物にとって環世界とは、自分が経験したことのある場所でしか成り立っていません。人間はコトバによる情報で、自分の行ったことのない場所も意味付けしていますが、それはやはり抽象的なものにすぎません。その場所がAという人物にとっては領域化されていても、Bという人物にとって領域化されてないということは、普通にあるわけです。