自国文化を「特別」と思う姿勢に問題があるのは分かるのですが、「特殊」と考えるのも問題なのでしょうか。「特別」と「特殊」とは、異なる概念だと思うのですが…。また、日本人のアイデンティティは、どうあるべきなのでしょうか。

「特別」と「特殊」の差、難しいですね。前者優越感を伴い、後者は差違だけを強調する、ということでしょうか。しかしこれらをいうときに前提になっているのは、「他の文化にはない」という認識です。それゆえに、「特別」「特殊」といえるわけですが、さてしかし我々は、そういいうるほどに世界の文化に広く深く精通しているのでしょうか。それを考えると、「特別」も「特殊」も一定の「無知」に基づく言説ということになりますが、上記のような精通、すなわち世界のあらゆる事象を知ることなど永遠に無理だと考えるなら、「特別」「特殊」と明言すること自体が欺瞞であり、何らかの政治的判断に基づいていることになります。それゆえに、自分たちの文化を「特殊だ」というとき、我々は自分自身にもう一度問いかけてみなければなりません。なお、アイデンティティについては、上の質問で述べたとおりです。そもそも「日本のアイデンティティ」というとき、それは初めて統一的な日本像が共有される国民国家日本のアイデンティティを意味します。ぼくは研究を通じて、そんなものよりももろもろの地域、もろもろの時代の、もろもろの思考や心性のほうが豊かであることを知っています。ぼくは、国民国家の成員である国民が、単一・画一的なアイデンティティを持つべきだとは思いません。それを持つことで閉鎖性と排外性が生み出され、多様な文化が抑圧され、よいことよりも悪いことのほうが多く発生すると考えます。