なぜ、大酒神社は「辟」の字を使わなくなってしまったのでしょうか。

恐らく、松尾大社が中世から近世にかけて酒の神としての霊験を強めていったこと、秦氏の伝説的始祖酒公に仮託したことが原因です。治水の機能、水路保護の機能などは広隆寺や大井神社も分有していたため、大酒神社のオリジナリティを強調する必要があったのかもしれません。京都三代奇祭のひとつである牛祭も、そうしたなかで創られていったものと考えれます。