牛が疫病の象徴としても現れることを考えると、水の神と疫病の神が、同じモチーフに委ねられるというのは、水害と疫病が密接に関係しているため、とみることは可能ですか(半島では疫病を牛モチーフでみることはあるのでしょうか)。

その可能性はありますね。一昨年の特講ではそのあたりを詳しくお話ししたのですが、中国南北朝時代には、洪水と疫病流行がセットになった終末観が語られます。そこでの疫神の継承は人間形であって牛ではないのですが、やがて仏教における地獄の獄卒が牛頭・馬頭で表現されるようになると、水・病・死の表象が複合されて牛頭天王のような疫病神が誕生するのではないでしょうか。ちなみに朝鮮半島は牛疫の流行地で、近世以降、そのパンデミックと連動して日本でも流行が起きています。半島の牛疫はモンゴルからもたらされた可能性もありますが、例えば祇園神が朝鮮由来であるとする見方には、そうした近世以降の朝鮮観も反映されているのかもしれません。