近代日本の実証主義歴史学には、現在主義的な中国的歴史観が残存していたり、皇国史観もあったが、「愛国心」を育てるために歴史を枉げてしまうことはなかったのですか。

厳密にいうとどうであったか分かりませんが、およその傾向としては少なかった、もしくはなかっただろうと思います。実証主義の価値観に沿って政治に迎合しなかったからこそ、純正史学/応用史学の区別が成り立ち、後者が一種の言い訳の場、逃げ場になっていたのだと考えられます。そうして純正史学は、久米邦武筆禍事件だけでなく、喜田貞吉南北朝正閏問題、津田左右吉記紀批判など、次々とナショナリズムとの軋轢を抱え込んでゆくことになったのです。