源平の争乱で焼失した東大寺を再建するとき、再建用の木材を九州のほうから運んできたという話を聞きました。近畿地方では、森林の伐採が進んでいたためでしょうか?

重源の東大寺再建の基盤になったのは、九州ではなく中国地方、とくに周防国(現在の山口県)ですね。ほかに安芸(広島)、備前(岡山)なども造営料国に設定されています。重源は、畿内周辺では紀伊や伊賀などの荘園にてこ入れをしてゆきますが、やはり東大寺の伽藍を建造できるような大径の良材は、近畿では少なくなっていたものと考えられます(7世紀の藤原京の段階でその傾向がみえ始めるのですから)。