死体を葬る際、埋葬ではなく火葬にはしなかったのか。再生の信仰を持っていたためだろうか?

日本列島の火葬例として最古のものは、7世紀近畿の須恵器登窯からみつかっている、恐らくは渡来人のものですね。東アジアでも、火葬は仏教徒以外には忌避されてきたので(とくに儒教文化圏においては、父祖から受け継いだ身体を損壊するとみなされたので)、仏教以前にはみられません。縄文時代には、遺体を意図的に損壊したとみられる事例もほとんどなく(屈葬のために四肢の骨を折ることはあったにせよ)、やはり、再生を祈願して「全き」状態で埋葬するのが前提であったと思われます。