巨大な古墳を作るような稲作集団のほかに、アワ、ヒエ、ソバ、ムギといった雑穀を栽培して生活していたグループはいなかったのでしょうか?

弥生時代のところで述べたかもしれませんが、弥生〜古墳時代の雑穀生産は、考古資料としては極めて少量しか出土していません。また、山地における人間活動の痕跡を調べても、縄文時代まで高い山に登って狩猟していた人びとが、弥生時代以降は次第に高い山には登らなくなり、古墳時代にはそうした山地の神聖化が進んでゆくようになる。しかしだからといって、稲作が行えないような山地で、雑穀生産に従事していた人びとがいなかったと考えるのは早計です。のちの蝦夷など、狩猟や採集を主要な生業としていた人びとの存在を考えると、東海以西の地域にもそうした人びとが少なからず存在し、王権や水田村落と交易などを行っていたと想定されます。律令国家段階になってゆきますと、王権はそうした人びとへも支配の手を伸ばし、山海の産物を納める贄など、租庸調とは異なる形式の収奪を行って把握してゆこうとするのです。